常熟中国語教室 小葵花日中交流センター

常熟あおい中国語教室は常熟にお住いの日本人のための日中友好スペースです。

TEL.0512-51929603

〒215500 常熟市海虞山北路5号华府世家新世界广场2FC216

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常熟AOI日中交流センターのロゴについて

 常熟AOI日中交流センターのロゴはAOI中国語教室の共通のシンボルである小葵花(ひまわり)と平和の鳩をデザインしたものです。この鳩は日中友好のシンボルとしての鳩です。そして私たちにとってこの鳩は、今を遡ること80年余り、日中戦争のさなかに日本の博愛家西村真琴博士が中国から連れ帰ったという傷ついた小鳩をイメージしています。


なぜ日中友好か?

 常熟AOI日中交流センターの発起人である私、勝川真琴は、2004年から日本企業の中国事業担当者として、中国進出の戦略を練り現地法人の立ち上げ等の業務に携わりました。数十名の赴任者を中国へ送り込む業務の過程で、もちろん偶然のいたずらも手伝ったかもしれません。中国進出後わずか半年の間に二人の同胞を、業務外の生活の場において失うという経験をいたしました。そのいずれもが不運な事故ではあったとはいえ、例えば仮に彼らに最小限度の中国語能力があれば防げたかもしれないと思われる事故でした。
 残された家族の皆様の怒りと悲しみに直接触れなければならなかった私にとって、その出来事は偶然の事故として時間と共に忘れ去ってしまってよいものではありませんでした。いつか自ら中国に赴任し海外赴任者として現地で苦労を共にしたい。平和・安全があたりまえの日本から現地の状況を無視した指示が下ったとしても何の反論もできず、大げさでなく身の危険も顧みずに、日夜奮闘努力されている中国赴任者のお手伝いをしたい。そう考えるようになりました。


50歳からの中国語

 では具体的になにをするか。明確な案もないまま過ごすうち、いつしか中国に中国語学校を設立したい、という具体的な案にたどり着きました。4年前、2009年11月5日のことです。
http://aoi1105.blog14.fc2.com/blog-date-200911-36.html
 そのためには自らもまた中国語の学習者としてしかるべき成果を持っていなければならない。ほぼ50歳の年齢に達していた私も、五十の手習い、ゼロからスタートの中国語学習者となりました。

 幸い教師に恵まれたこともあり、学習を始め3年後に区切りの意味で参加した各種中国語スピーチコンテストでは中国語を専門にする参加者と対等に競えるまでになり、準優勝、社会人部門で1位などの賞をいただくことができました。
以下に少し長くなりますが、当時のスピーチの一つ、日中友好協会の全国中国語スピーチコンテストで発表した内容の日本語訳を掲載させていただきます。


西村真琴と平和の鳩

「会って笑えば恨みも消える」
「荒波を渡り尽くせば兄弟あり、相逢うて一笑恩讐ほろぶ。」
 これは魯迅の書いた“三義塔に題す”という詩の一節です。「避けられない災難や苦労を乗り越えてこそ真の友愛が生まれる。お互い憎み合っても、もとより兄弟である私たちは、会ってにっこり笑えばすぐさま恨みも消えてしまう。」という意味です。実はこの詩は魯迅が一人の日本人に送った詩です。
 日本人の名は西村真琴といいます。
 西村真琴博士は科学者でした。1932年、彼が49歳の時中国で上海事変が起こりました。西村教授は多くの中国民間人が傷つきそして亡くなったことを知るや、すぐに医療援助団を組織し中国に渡り医療援助活動をしました。そして、上海の三義里で、傷ついて飛べなくなった鳩を見つけ日本に連れ帰りました。彼は鳩の傷が癒えるのを待ち中国に返そうとしたのです。
 けれど、ある日鳩はイタチに襲われ、死んでしまいます。彼は嘆き自宅の庭に鳩のお墓を建てました。そして魯迅に手紙を書き、鳩は死んでしまったけれど、これからは私が日中関係の修復のため努力すると伝えました。魯迅がこれに答えて西村に返した詩が“三義塔に題す”です。その後、西村博士は中国の多くの戦争孤児の収容に尽くしました。
 私の名前は「真琴」と言います。西村真琴は1956年1月に亡くなっています。仏教思想では、亡くなった人間は一年を経てこの世に輪廻転生すると言われています。実は西村が亡くなって、ちょうど一年後の1957年1月に西村氏の生家のある大阪府豊中市の近くで、私は生まれました。父は西村教授の名にちなみ私の名をつけたということです。子供の頃母に良く言われました、「悪さばっかりしてると、ろくなものに生まれ変わらないよ!」。以来、私は自分が西村真琴の生まれ変わりなのではないかと、少しずつ信じるようになりました。ですから、私もいつかは西村博士の夢を引き継いで、中日関係の改善のために何がしかの貢献をしたいと考えています。
 来世というものがもし本当にあるのなら、西村博士が日中友好のシンボルとして連れ帰ったあの鳩に生まれ変わり、友愛の翼と共に、再び中国に向け、帰っていきたいと思っています。         (下の写真は大阪府豊中市に今も残る三義塔です。)
 日中両国は、世間で言われるほど敵対しているわけではないと思います。しかし同時に、日本人と中国人は世間で言われているほどお互い理解し合っているわけでもないと思うのです。心から理解し合えるにはまだ何十年もかかるかもしれません。けれど、いつか同じアジアの同胞として真の友人関係を築けることを願っています。そしてそういうことに少しでも尽力することが私の使命だと思うのです。私は2006年に仕事の関係で中国語の勉強を始めました。以来、中国の人たちと接し、理解を深める機会は益々増えてきました。今、中国人の人たちと交流する機会はなくなりました。けれど東京や上海で見た風景、生活した場所、めぐり逢った友人たちを決して忘れることはありません。
無二の友を失った中国の地で、いつか日中友好のために尽力したい。
その日の来ることを夢に見ています。

2010年1月10日 東京日中友好協会本部にて       勝川真琴


スピーチの中国語版はこちら→ http://blog.sina.com.cn/s/blog_5ddb7b520101efg5.html